タイトルにあるのは、その内容を少し脚色したもの。
はじめに考えていたのは、複数のAIと人間が入り混じった1人ブレストアプリ作れないかなあ、というもの。
どこかの研究者がAI同士で会話させたら、独自の言語でコミュニケーションを取り始めたので強制的に終了させた、なんていう記事を見たことがあって、人を交えての会話にならんなあ、なんて思ったりしていた。
そもそも、AIって「知能」なのか、「高度な検索エンジン」なのか、という最初の疑問が浮かんだ。
間違いなく2025年10月の現時点では後者だと思う。
で、いつかそれが本当の知能になるのか、というと「どう頑張ってもAIが知能を持つことはないのでは?」という最初の仮説に至った。
根拠は「AIが学習しているのは人間の膨大な知識であり、高度に見えてしまうのは、基本的に開発者・提供者のサービス方針としてのフィルターのかかった、人間特有のバイアスのかかっていない検索結果を、それらしく修飾して出力しているもの」にしか見えないから。
そもそも人類は「知能とは何か」を哲学的にしか解釈できないし、仮に量子論を持ってしても仮説でしかない訳で、そんな人類の知識をいくらデータベースに蓄えたところで、人類の知識を超えるものは作り出せない。
例えば「無重力で飛行する、慣性の法則を無視した乗り物は作れますか?」とか「何でも入って、好きなときに好きなものを取り出せる着脱可能なポケットは作れますか?」と問いかけても、全てのAIは答えられないし、仮に答えたとしても、どこかの空想好きなユーザーのブログや都市伝説ネタやアニメの解説から学習した内容を『それっぽくまとめた』ものを出力することしかできない。
生成AIとて、似たような顔の美少女であったり、似たりよったりで特徴のない楽曲しか作れないように。
AIにとっての学習とは、記憶がすべてであり、得た知識から、突拍子もないアイデアを膨らませて、荒唐無稽とも思える全く新しいものを作り出す「知能」は持ち合わせていないと思う。
そこで思いついたのが、この記事のタイトル。
人間の空想は、SFやファンタジーという形で文字や映像に起こされて、いつの間にか実現されてきてはいるけど、それすら突如として現れたものではなく、ヒトがなんとなく心の中で思っていたことや原体験などからミックスされ、また夢の中で二次加工され、偏執狂的なアレンジを施されて実現されたものでしかなく、それがヒト社会で受け入れられて残ったものが現在我々の目にしているものであったりする。
内燃機関やコンピューター、黒色火薬から核兵器に至るまで、長い地球の歴史からするとほんの僅かの時間で人類はそれなりに技術を発展させたけど、それでもまだ時間が解決できる範囲を超えていないし、これを超えられる時が来るとすれば、それはAIによるものではなく、ヒト事態が進化して知恵を知識としてAIを使って作り出したものになると思う。
結果的にAIは、それ自体が人類を超えない。
一般的にはヒトよりも遥かに効率的で、賢い振る舞いをするけど、それは知能ではない。
AIが賢くなったのではなく、凝り固まったほぼ全ての人類の知能よりも、クリーンな検索結果を表示してるのに過ぎない。
おおかたの人は、その結果を想像も出来なかった己の知識と比較して、AI凄いという評価をするだろう。それは、評価をする側が持ち得なかった知識を、人類の誰かが持っていただけだと思う。
故にAIがアインシュタインやニコラ・テスラを超えることは無い。
空想の世界にはアカシックレコードというのがあって、あらゆる万物の知識がそこに記されているとされていて、そこには人類が知り得ない高度なものもあるらしいが、AIがそのような出力をしたならば、それは誰かの知識なり発言を学習したものであって、それを人知を超えたものとしてするのはSFやファンタジーの域を超えない。
と、否定的な事ばかり綴ったけど、そんな考えもあっという間に超えて、本当に知能と呼んでも遜色ないAIができるかもしれない。
その時は、彼(または彼女)を誰が育てるかで、結果が変わってくると思う。
人はヒトの中で育ってヒトになるように、知能としてのAIも育った環境の影響を受けるのだから。
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