2025年10月20日月曜日

ITは人工知能の夢を見るか

いつものように、ふと深夜に覚醒してしまい、ウトウトしていた時に勝手に頭が考え事を始めたのでそれをそのまま残す。

タイトルにあるのは、その内容を少し脚色したもの。

はじめに考えていたのは、複数のAIと人間が入り混じった1人ブレストアプリ作れないかなあ、というもの。
どこかの研究者がAI同士で会話させたら、独自の言語でコミュニケーションを取り始めたので強制的に終了させた、なんていう記事を見たことがあって、人を交えての会話にならんなあ、なんて思ったりしていた。

そもそも、AIって「知能」なのか、「高度な検索エンジン」なのか、という最初の疑問が浮かんだ。
間違いなく2025年10月の現時点では後者だと思う。
で、いつかそれが本当の知能になるのか、というと「どう頑張ってもAIが知能を持つことはないのでは?」という最初の仮説に至った。
根拠は「AIが学習しているのは人間の膨大な知識であり、高度に見えてしまうのは、基本的に開発者・提供者のサービス方針としてのフィルターのかかった、人間特有のバイアスのかかっていない検索結果を、それらしく修飾して出力しているもの」にしか見えないから。
そもそも人類は「知能とは何か」を哲学的にしか解釈できないし、仮に量子論を持ってしても仮説でしかない訳で、そんな人類の知識をいくらデータベースに蓄えたところで、人類の知識を超えるものは作り出せない。
例えば「無重力で飛行する、慣性の法則を無視した乗り物は作れますか?」とか「何でも入って、好きなときに好きなものを取り出せる着脱可能なポケットは作れますか?」と問いかけても、全てのAIは答えられないし、仮に答えたとしても、どこかの空想好きなユーザーのブログや都市伝説ネタやアニメの解説から学習した内容を『それっぽくまとめた』ものを出力することしかできない。
生成AIとて、似たような顔の美少女であったり、似たりよったりで特徴のない楽曲しか作れないように。

AIにとっての学習とは、記憶がすべてであり、得た知識から、突拍子もないアイデアを膨らませて、荒唐無稽とも思える全く新しいものを作り出す「知能」は持ち合わせていないと思う。

そこで思いついたのが、この記事のタイトル。

人間の空想は、SFやファンタジーという形で文字や映像に起こされて、いつの間にか実現されてきてはいるけど、それすら突如として現れたものではなく、ヒトがなんとなく心の中で思っていたことや原体験などからミックスされ、また夢の中で二次加工され、偏執狂的なアレンジを施されて実現されたものでしかなく、それがヒト社会で受け入れられて残ったものが現在我々の目にしているものであったりする。

内燃機関やコンピューター、黒色火薬から核兵器に至るまで、長い地球の歴史からするとほんの僅かの時間で人類はそれなりに技術を発展させたけど、それでもまだ時間が解決できる範囲を超えていないし、これを超えられる時が来るとすれば、それはAIによるものではなく、ヒト事態が進化して知恵を知識としてAIを使って作り出したものになると思う。

結果的にAIは、それ自体が人類を超えない。
一般的にはヒトよりも遥かに効率的で、賢い振る舞いをするけど、それは知能ではない。
AIが賢くなったのではなく、凝り固まったほぼ全ての人類の知能よりも、クリーンな検索結果を表示してるのに過ぎない。
おおかたの人は、その結果を想像も出来なかった己の知識と比較して、AI凄いという評価をするだろう。それは、評価をする側が持ち得なかった知識を、人類の誰かが持っていただけだと思う。

故にAIがアインシュタインやニコラ・テスラを超えることは無い。

空想の世界にはアカシックレコードというのがあって、あらゆる万物の知識がそこに記されているとされていて、そこには人類が知り得ない高度なものもあるらしいが、AIがそのような出力をしたならば、それは誰かの知識なり発言を学習したものであって、それを人知を超えたものとしてするのはSFやファンタジーの域を超えない。

と、否定的な事ばかり綴ったけど、そんな考えもあっという間に超えて、本当に知能と呼んでも遜色ないAIができるかもしれない。
その時は、彼(または彼女)を誰が育てるかで、結果が変わってくると思う。
人はヒトの中で育ってヒトになるように、知能としてのAIも育った環境の影響を受けるのだから。

2024年3月6日水曜日

一人親方始めました

能登半島地震で始まった2024年、この年の2月で会社員を辞め

3月より個人事業主として残りの人生を過ごすことにしました。

なんでもアノ界隈😎では2024年てのは、年始の大地震だけでなく

とても大きなことが起きるらしいのですが

私に起きたファーストインパクトは「脱サラ」でした。

前職の退職自体は昨年の春頃から決まっていましたが

フリーランスになる決意はひょんなことから決まり、自分でもなんで決意できたんだろうと思い返すと、それも必然だったのではないかと納得できることが色々ありました。

会社員時代は

「システム開発は好きだし、もっとたくさん知識付けたいけど、この仕事はとてつもなくつまらなく、もはや嫌いになりそう」

な程フラストレーションが溜まっていました。

どんなにお客様と打ち合わせしても、結局会社(上司)の意向が優先されてしまうので、『こうしたほうがいいのに』という意見も全く通らず

あとからユーザーに「え、なんでこうなっちゃったの?」と言われて自分がなんとか謝って認めてもらうということがしばしば。

そんなことが続き、低予算・短納期な上に理不尽な社内からの前倒し要求が重なり、本当は好きなはずなのに『キライになったほうがましだ』という考えが徐々に頭の中を埋めるようになりました。

会社の方針転換等もあり、もう地元に戻って他の仕事を探そうと思っていた時に

そんな簡単に見つかるわけもないので、「とりあえず」くらいの動機で案件紹介のサービスに登録したところ

「当社の案件をご紹介するにあたって、個人事業主になっていただく必要があります」

「はあ、わかりました」

で話が進み、サービス会社への登録が終わってから

「あれ?よかったのかなこれで」

とは思ったけど、これが最初のきっかけ。

でも、地元で何かするにしても、どこかの会社にはいれば結局その会社の方針に従って仕事をしなければならないし、それはどんな職種でも同じことで、じゃあ独立してしまうのもアリかな、と考えるようになりました。

その後、その考えを後押しするようなことがチラホラとあり、3月を待って開業届を提出し、無事に受領され現在に至ります。

まあ、嫁サマからの反対はありましたけど。

でもですね、自分の年齢を考えると、人生80年時代とか言われてますが

ごく一部の人を除いてせいぜい今と同じように動けるのって、70代前半が限界かなと

俗にいう健康寿命ってやつですね

結婚して子供が生まれてあっという間に30年が過ぎて、じゃあ健康寿命まであと20年切ってしまって、子育て終わって自分の時間ができたといっても、日本政府が言うように70まで必死に働いたとして、残りの人生で残された時間何ができるんだろう

って考えると、ぶっちゃけ

「タヒぬの待つだけじゃねーか」

と。

健康面でのリスクや肉体・頭脳の経年劣化を考慮すると、好きなことできるのはおそらく75歳くらいまで。

健康で長生きするために、あれこれ節制して色々なことに注意して出来る範囲でできることだけをするために毎日意識高くもって暮らす人生は嫌です。そこまでして80だ90だまで長生きしたいとは思えなかったのです。

70代まで好きなことをして、それから先はオマケの人生です。

それまで残り十数年しかないと考えたとき、好きなことしたいなら、折角ITエンジニアとして今まで苦労してきた分、これを活かして好きなことをするにはフリーランスしかない。

が私の結論でした。


そんなこんなで、このブログではフリーランスになってからのことを中心に書いていきたいと思います。


ITは人工知能の夢を見るか

いつものように、ふと深夜に覚醒してしまい、ウトウトしていた時に勝手に頭が考え事を始めたのでそれをそのまま残す。 タイトルにあるのは、その内容を少し脚色したもの。 はじめに考えていたのは、複数のAIと人間が入り混じった1人ブレストアプリ作れないかなあ、というもの。 どこかの研究者が...